国分寺がすっかり衰微してその尼寺が薬師様と一緒になり、上の台から現在の所へ移ってきたころのことである。
そのころの大山街道は国分の辻の第一分団の消防舎の下から土手下を薬師様の下へまっすぐに出て、石段の下で直角に曲がって大けやきの所に出、さらに海老名小学校下の交通信号付近から海老名耕地へと坂を下ったのである。ちょうど二つのかぎカッコをずらしておいたようなややこしい街道であった。
この街道より一段高い薬師様(相模國分寺)のガケに太く生い茂った白椿が生えていて、毎年白い花をびっしりと咲かせ、その下を通る旅人は思わず足を止めてながめ入るのであった。 このころになると、夜な夜なきまって薬師様の門前の茶店にひとりの美しい娘が現れるのであった。黒髪をすっきり二つに分けて後ろに垂らし、きめこまかい肌が透きとおるほどの薄い白妙の衣を身につけ、その上なんともいわれぬ香りを漂わせて気品にあふれていた。
この娘がどこの者か知る人はいなかった。そして茶店では一杯の茶を所望するばかりで休んで行くのだが、不思議と娘が立ち寄る店は栄えて行くのである。こうしたことがしだいにうわさに上っていったのであるが、白椿の花がみんな散っしまうころになると、ぱったり娘も来なくなってしまうのであった。
ある年の春のことである。「例の娘がまた来始めたぞ」とまたまた村人の口の端にのぼるようになった。どこから来てどこへ帰るのかとある晩、もの好きの若者がそうっと後ろをつけたが、薬師様の石段の途中でぱっと姿が消えてしまった。若者は、あくまでその行方を確かめたくてならない。翌晩は縫い針に長い糸を通しておき、娘に言い寄り、そのたもとに針を通して石段の下で娘と別れた。
翌朝、その糸をたぐってみると、糸は薬師様の大椿の梢高く続いていた。登って行って見ると、針は白椿の一枚の花びらに刺さっていた。「さては娘は白椿の精であったのか」と、これがまた大評判になったが、それっきり娘は二度と姿を現すことはなかったという。
今、石段に向かって左側に幹の周囲1.5メートルの根分かれした椿があるが、この椿が伝説をを生んだ椿か、あるいはその子孫かは知る由も今となってはない。
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